2014年05月05日
管理人の過去

クローゼットを整理していたら古いアルバムが出てきました。今から20年以上も前の写真、デジカメなんて無かった時代の産物ですわ。あまりに懐かしかったので、スキャンしてみました。
上は高校2年生か3年生の時に留学先のアメリカでのめり込んでいたスカイダイビングの写真です。卒業したら陸自に入るつもりで、球技などのスポーツは一切やらずに、登山とかカヤックとかのアウトドア系ばっかりやってました。留学先は山がない州でしたが、その代わりにスカイダイビングに手を染めていました。日本の友人にお願いして当時の陸自の迷彩服を送ってもらい、払下げのジャングルブーツを履いて飛んでいた頃の一場面です。
セスナに4~5人のジャンパーが乗り込んで、上空で風向きを読んで着地点の風上から降下します。観光用のアトラクションではないので、もちろん1人で飛びます。使用機材はラムエア型パラシュート。特殊部隊などが使用する翼型の操舵性のあるパラシュートです。空挺部隊などが使う円形のパラシュートに比べてコンパクトに畳めることから、背中のパックにメインとサブの両方が入っています。
所有するライセンスによってパラシュートを開く高度などに制限があります。自分のライセンスでは何メートルで開傘しなければいけないのか忘れてしまいましたが、高度10,000フィート(約3,000メートル)から飛び出して約40秒間の自由降下を楽しむことは出来ました。日本の料金と比べて格段に安かったので、夜間降下も含めて結構な回数を飛んだ記憶があります(ログブックは何処へ?)。
アメリカの高校を卒業した後、現地の大学へ進学しました。そこで出会ったのが「刑事司法学」です。アメリカは日本と異なり1市町村に1つずつ警察組織が存在します。よって、幹部教育などの高度な分野を自前で施せるのは、人員と予算に余裕のある連邦や州レベルの組織と大都市の警察だけです。
では中規模以下の自治体はどうするのか?新規採用者向けのいわゆるポリスアカデミーは州レベルの組織に委託できますが、その後の専門教育や幹部教育にあっては専門的に取り組んでいる公的機関がほぼ皆無です(人員・予算の都合で)。そこを補う形で発達したのが、各地の大学にある司法警察学科(学校によっては、警察運営学科とかの呼び名もありました)です。教授陣は単にその分野で研究を続けている「専門オタク」ではありません。少なくとも自分の大学では、それぞれが研究している警察や検察などの分野で実務経験のある方ばかりでした。
また自分の専攻学科では「頭でっかちな学生を育てる気はない」との方針で、いわゆる卒論がない代わりに(もちろん各講座では試験に加えて論文がありました)最低半年間のインターンとしての実務が義務付けられていました。運良く当時の校内警察(キャンパスポリス、公立大学なので大学自体にも自治権/警察権があります)の署長が話を聞いてくれて、制服を着てパトロールと広報の2つの任務に就いていました。
主たる警ら手段は警察仕様のマウンテンバイクでしたので、州公安委員会が指定するマウンテンバイク・パトロールの訓練を受けて正式に修了証をもらっています。交通違反の取り締まりに始まり、イベント警備や遺失拾得届の受理、騒音苦情への対応や事件発生時の現場保存等など、思い起こせば色々やりました。地元警察との合同訓練にも参加させてもらい、SWATやEODなど日本で警察官になる以前から間近で接して実態を見ていました。銃器は正規の警察学校を卒業していないので携帯は許可されていませんでしたが、訓練だけはありました。
下は当時の写真ですが、いや~細いな~。ウエイトトレーニングは一切せずに、毎日パトロールでマウンテンバイク走らせてましたからね。ウエイトトレーニングとかをやって今の身体になったのは、この写真の撮影時から10年位後のことです。

そんな学生生活を送っている間に徐々に洗脳されていき、卒業して帰国したら自衛官ではなく警察官になってました。当時はシュアファイヤーが米国で広まり始めた頃で、自分は現地でシュアファイヤーの威力(当時はフィラメント・バルブでした)を実感していましたので、初任科生の頃から秘かにシュアファイヤーを持ってました。おそらく大阪府警でSATを除き初めてシュアファイヤーを装備した警察官だったかも知れません。
9.11のはるか前でしたので、外国人留学生でもこんなことやらせてもらえたのでしょう。今はどうなんでしょうね?そういえばオクラホマ連邦ビル爆破事件は在学中の出来事でした。爆心地から学舎までは10キロほどの距離でしたが、窓ガラスが衝撃波で激しく揺れたのを覚えています。
ちょっと、いや、かなり懐かしかったもので、思わず当時の思い出と共にアップしてみました。
Posted by Shadow Warriors Training at 17:17
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